続、残ったおにぎり3個のはなし 『いつも感謝していなさい』コロサイ3章15

『感謝しろ!』といわれても困るよな。大体、感情を表現する言葉に命令形はなじまない。『泣きなさい、笑いなさい』という歌があるにはあるが、宝くじが当たった人に『泣きなさい』と言っても泣かないし、財布を落とした人に『笑いなさい』というのも酷な話だ。基本的に悲しみや喜びなどの感情を表現する言葉に命令形はそぐわない。しかし、天下のバイブルの中には各所に『感謝しろ!』『喜べ!』などの感情表現の命令形が出てくるのだ。 
 可愛い我が子が服をどろどろに汚して学校から帰ってきた。『~ちゃん、どうしたの?また、ケンカしたのね。もう、あなたったら・・・さっさと服を着替えて勉強しなさいっ!』 
 しかしだ。ある日、子どもが暗くなっても帰ってこない。夜遅くなっても帰ってこないのだ。やがて、一本の電話が入る。これからはサスペンスドラマだ『お宅のお子さんを預かった。身代金~千万円をもってこい!警察に知らせると子どもの命はないぞ』だが、日本の警察は優秀だ。犯人はつかまり、無事、子どもが帰ってくる。こんな時の、親子が抱き合い、泣いて喜ぶ感動のシーンは何度もテレビで見ただろう。しかし、しかしだ。毎日元気に『ただいま!』って帰ってきたら、同じ状況でも喜び、泣いて感謝することは出来ないのだ。
さて、『いつも感謝していなさい』という言葉に戻ろう。どうだろう、命令形の言葉に違和感がなくなってはいないだろうか?人は勝手な生き物である。あるがままの幸せには気づかず、まるで、手の届かない遠い幸せだけが、幸せのように思い違いし、追いかけ、探し疲れているのだ。
今、今日、ある生命は『当たり前』ではない。夥しい奇跡の連続のなかで、赦され、生かされている生命なのだ。


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