スリッパに神を見た!

九州に行くといつもオチ先生のところへ立ち寄り、お食事をご馳走になった。ご飯の炊き役はいつもオチ先生。お米の洗い方にも結構うるさく、こだわりのご飯だ。他愛のない世間話を楽しんでいたが、帰りがけにいつもオチ先生は『今日はいい芸術談義ができた』と喜んでくださった。『芸術談義なんかしてへんやん。単に世間話だけや』って言うと、『それが芸術談義なんだ』と。この言葉が嬉しかった。そうなんや、芸術って生活から離れ、お高くとどまっているものではなく、日常生活の真ただ中にある当たり前性の中の美を発見することなんや。それは、幸せが、探し求める対象ではなく、今あるがままの生命の中に見つけ、感謝するものであるのに似ている。 ある日、オチ先生が嬉しそうな顔をして『綺麗かろ!』と一点の作品を見せてくれた。僕は即座に『きたないわ!』と言い返した。それはアトリエで履き古したオチ先生の使用済みの汚れたスリッパの裏に球体が描かれた作品だった。『先生!履き古したスリッパの裏という概念で僕らは作品を見てしまう。これレストランに飾られへんやろ?』するとオチ先生が『そんなこと言うなよ、これをこんなふうに履き古したんは僕なんや・・・』そのときのオチ先生の悲しそうな顔がわすれられない。
4day今、私が自分が開発した生ゴミの堆肥化装置『4日ぼうず』に関して語るとき、『汚いものは何も無い。ただその上を人が通過したとき、ゴミという厄介なものを作り出す』と語るのはこの時の会話が影響している。この時、オチ先生は言った。『これを額装して綺麗に見せるのが画商の仕事だろ!』『額合わせは画商の仕事だ』という信念が私に生まれたのはこの時からだ。作家は絵だけに専念すればいい。鑑賞者との仲立ちは額縁も含めて画商の仕事なのだ。今、『私の絵にはこんな額縁を・・・』と注文を付ける画家がいたら、すかさず私は『画商の仕事に口を出すな!』と言うだろう。さて、古いスリッパの裏に描いた作品のオチ先生がつけたタイトルが面白い。『スリッパに神を見た』だった。
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