永遠という言葉

希望りんごの植樹際ではいつも『命の尊さ永遠に…』と記念碑に刻んでいる。
いつからこうなったのか記憶になく、なんとなくわかった気でいるが、深く思慮してできた言葉でないことは確かだ。
そこでいい機会だから時間について考えてみよう。
未来が現在にそして過去へと猛烈なスピードで目前を駆け抜ける。
私たちが今持っている、こんな時間概念は、いずれ地球や人類が滅びても続きそうだ。しかし、人のいない世界での時間の経過は、当たり前だけれど人にとって何の意味もない。人は生活するのに便利な時間を発明し、地球が一回、自転する間に一回転する時計を発明した。それを24で割って1時間と決め、同じように地球が太陽のまわりを一回公転するのを365で割って1日とする暦を作った。少々の誤差は閏年で埋める。地球の回転速度や公転速度は地球の創世記と今とでは同じであるはずがないので絶対的な尺度ではない。このようなことを考えるまでもなく、こんなあやふやな時間軸の延長線上に永遠という言葉を置きたくない。人の生命は余りにも短い。誰もがすぐにお別れする時間軸だ。だからこそ永遠という言葉があるなら、はじめから無い物ねだり憧れ的な表現だ。そんなの面白くない!全く違う概念の永遠が、限りある私たちの時間軸の今と交わっているように思えてならない。明日のことはわからない。今の今を精一杯生きよう!と願う所以だ。


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