わが誕生日に思う!

barthday
ハッピーバースデー
[法被(着せ)婆~捨て~]やて?おお、怖わっ!婆でなく、爺いでよかった?『ウバ捨て山』を思い出した。
長い間、生かされてきたのに、未だ、隣人を顧みる余裕のない自分を見ながら、捨てられんよう生きる道を探りたいと必死だ!
かって、オチ・オサムが私に『顔施』という言葉を教えてくれた。多くは語らなかったが、体が不自由になっても、『笑顔』で他者に施せる、という意味だと理解している。
みんなが正月に歳を重ねていた頃、『正月や、冥土の旅への一里塚、めでたくもあり、めでたくもなし』と詠んでいた。
コヘレトの言葉には『生まれた日は呪われよ』という言葉もある。
つまり、誕生日は単純に『めでたい』日ではないのだ。
99歳のご婦人が『100歳になるのが嫌だ』と自殺したニュースが流れていたのは、つい先日のことだ。
どんなに悩みがあり、どんなに寂しい一人ぼっちの誕生日でも、『一人ぼっちのバースデー』と歌えば結構、絵になるのは若い日だ。高齢化者が『一人ぼっちの誕生日』と歌っても、そんな惨めなレコード(ちゃうちゃう今はCD)は、誰も買わん。

高齢時代を『おめでたく』生きるのは至難である。
歳を経てからの誕生日は、『めでたいか、めでたくないのか』の自分の生き方を自らが考える貴重な機会でもある。

私はコヘレトのように『生まれた日は呪われよ』とは思っていない。
来る朝ごとに、生かされていることを実感してから起床している。
私の誕生日は『死ぬまで生かされたるぞ!』である。
自分で買ったイチゴショートを前に、『このチッポケな、でも、私にとってかけがえのない、たった一つのデカイ命をありがとう!』って、神さまと差し向かいでお礼を言って、嬉し涙に泣き濡れて祝うよ。
神さまに『オメデトウ!』って言われる誕生日が迎えられたら最高だ。       
 ー毎年28歳の誕生日を迎える夢・遊人よりー


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