それでも便利さは手放せない!

日本にある原発がフル稼働すると、一ヶ月あたり広島型原子爆弾3000発でせっせと日本近海を温めているのと同じだ。(原子炉時限爆弾ー広瀬 隆著) しかし、私たちは、落ち葉の焚き火も焼き芋も地球温暖化の原因だから、と禁じられている。どれだけ焼き芋を焼けば原発一基分になるだろう?全く馬鹿げてる。山の上に貝の化石があり、海がいつかは山になることを子どもたちでも知っている。しかし大人はちょっとした地球の身震いに『想定外だ!』と騒いでいる。戦争だって、『戦争のために戦います』と言って始める戦争など聞いたことがない。いつも『平和』のためという仮面の下で、『正義』と『正義』がぶつかってはじまるのだ。昨今の政治のように『平和のために』を連発する政治は非常に危険だ。しかし、私たちは、いつも無力で『原爆許すまじ』を歌いながら、国が富む、という戦いをどこかで許し、原発反対を唱えながら、自分たちの便利さは手放さない。可哀想・残酷という人間が肉食だ。声だかに叫ぶ『戦争反対!』より『ジョニー、戦場へ行かないで・・・』と歌う声が胸を刺し、『世界平和』を100回唱えるより、隣の人と仲良くする方が世界の平和への近道だ。人を幸せにするのに有り余るモノがいるのだろうか?ほんの少しだけ不便な生活を楽しめば見えてくる。画廊ではローソクで食事をし、電気の無い遊人村では発電機で蛍光灯をつけている。都会と田舎の行き来、それが遊人村に通う一つの理由でもある。都会と田舎の行き来は、現代と過去の行き来でもある。便利すぎる現代と少し不便だった過去。人が動物の一種であることを忘れさせる現代と動物の一種としての人が幸せに自然と調和していた過去。『昔がよかった』と言う老人を小馬鹿にしていた私だが、自分がその歳になると気づいたことも多い。若者に煌く無限の未来があるように、齢を重ねた者には豊かな過去があるのだ。豊かな未来を迎えるためには、豊かな過去が必要だ。まだまだ若い奴にグジャグジャ能書き垂れる、うるさいオジンであり続けるぞ!


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